24歳 男 地元故郷離れて自衛隊に入隊した集団寮での過酷な経験談

■私の特別職国家公務員時代であります自衛官の宿舎での生活内容につきまして

皆様も男性の方であれば、ガタイの良い方等につきましては、一度は、地方協力連絡支部のスーツ組の広報官の方に声を掛けられたことがあるかもわかりませんが、私は、書店で自衛官の過去問と出会う形でそこから戦闘服で戦闘訓練を実施している自衛官に惚れ込む形となりまして、自ら地方協力本部の扉を叩く形となりました。

当然広報官としましては、ウェルカムで私に対して、様々な試験制度を用意して頂く形になりました。

当初は技術海曹や、技術幹部と言う形で様々な試験制度をご用意して頂き、紹介して頂いのですが、現状での自分自身の学力を天秤にかけますと、やはり、高卒程度の曹候補士か中卒程度の任期制自衛官のどちらかしか選択肢がないと言う状況でありました。

私が一番なりたかった試験制度としましては、当時残存していた試験制度で曹候補学生と言う、この試験制度に合格すれば、必ず曹になれると言う試験制度であったのですが、その社員となる階級に曹になるまでの過程としましては、もっともイージーで通常選抜試験か選考試験を受験して、陸曹教育課程に選抜か選考されなければならないのですが、その選抜試験及び選考試験を免除してもらえると言う形で、実質0選抜で陸曹教育課程に入校することができる形で私としましては、願ってもない試験制度であると思っておりました。

しかし、激戦区で全国で500名程度しか採用しないことから、当時の倍率も計り知れない程の倍率で、30倍程度は有ったと思います。

そのような状況では無理だと思い、絶対に合格することのできる試験制度であります、中卒程度の任期制自衛官で陸曹を目指す形になりました。

一度入隊が決まれば集団生活の始まりであり、教育部隊としての部屋は8人部屋のタコ部屋でありまして、二弾ベッドでバディーを組んで生活しなければならないと言う状況でありました。

そのような状況で一人、また一人と辞めていく中で、集団生活の厳しさを思い知る形となりました。